令和6年度夏期講座報告
①篆刻 7月6日(土)・7月9日(火) 講師 喜多芳邑先生
毎年、夏期講座の中でも人気の講座です。初めて参加の方にも基礎から印刀の持ち方や朱文と白文の違い、印材、印床、印泥のことを説明いただきました。各自、彫りたい語句を決めて先生に印材に準備していただいてから石材の文字に取り組みます。印材を彫る小気味いい音が響く雰囲気の中、困ったときは先生にその都度指導いただきながら作業を進めました。最後の仕上げを先生にしていただき「出来上がりましたね」の一言で、それぞれ落款などに押印できる印を完成しその喜びを味わいました。
②水彩画 7月13日(土)講師 東紀子先生
夏の風物詩「うちわ」に夏らしい絵を描こうということで、作成手順からイメージをふくらませて描写方法を丁寧にご指導いただきました。日本画に相応しい色使いや筆の運びを学び、古典的な風合いのひとりひとり個性的な作品が完成しました。
③懐かしの歌を歌おう 7月16日(火) 講師 井上澄子先生
「気軽に自分たちの歌いたい歌を歌う」をモットーにピアノ伴奏で、最初は万葉歌建立を記念して黛敏郎氏作曲の萬葉歌碑の歌から始まり、最後は朧月夜まで18曲を歌いました。明日香にかかわる歌を作曲された西川正夜詩さんのお話もされて、いろいろ勉強になった講座でした。
④砂絵 7月19日(金)講師 南澤恭石先生
初めての参加者3名は、先生の指導の下、黒いお盆の上に自然石数個と粒の大きさの違う白砂をまき羽根で砂を払って自然の情景を描かれていました。和気あいあいとした雰囲気で講座が進み、経験者は自分なりの作品を作成され、初めての方も「富士山を描くのは難しかったけど、作成中は心落ち着いてできました」という感想を聞くことができました。
⑤切り絵 7月20日(土)・7月27日(土) 講師 森脇新一郎先生
先生が下絵や道具などを用意され、各自原画を選び、先生が説明された手順通り、下絵を写し切り取っていく作業を進めていきました。完成の絵を思い描きながら皆さんが細かい作業に没頭され、二日目には先生に仕上げを手伝ってもらいながら全員完成しました。
⑥絵手紙 8月9日(金)講師 愛水香薫先生
先生から絵手紙で大切なことは「大きく描く」「ヘタに描く」「笑顔で描く」と教わり、初めての方もいましたが充実した内容となりました。めいめいが出来上がった作品を参加者の前で自画自賛して説明し楽しい講座となりました。
⑦書道 8月11日(日)講師 稲垣小燕先生
参加者がお互いの顔や作品が見えるように机を配置して作品作りをしました。万葉集の中から好きな言葉を選び、色紙の作品に仕上げました。墨や筆の種類、描き方など、初めて知る書法に感心しながら楽しい作品が完成しました。
⑧飛鳥ものがたり 8月25日(日) 講師 脇田宗孝先生
先生のふるさと「飛鳥」への想いにあふれたお話でした。自らを振り返り幼少期、祖父母と入谷で暮らし、橿原神宮の神武さんに歩いて出かけたこと、大学時代、全国の窯元を薪割りや粘土こねを手伝いながら無銭旅行をしながら巡ったこと、また恩師の寺尾勇先生、考古学を通じて末永雅雄先生、網干善教先生など多くの人との出会いで今の自分があると話されました。そうした繋がりの中で、網干先生の「あんた明日香の人やろ、明日香へ帰ってこんかい」と言われた言葉をきっかけに紆余曲折ののち今の上居に窯を構えたとのことでした。特に私たちの知らない寺尾修先生のエピソードは、今、明日香村が進めている「飛鳥まるごと博物館」構想につながる内容でした。鬼の雪隠近くにある先生の記念碑には「私はあすか風になりたい」との口癖の先生の願いを叶えるかのように『風』の一文字が刻まれています。時にはユーモアを交えながら話され、あっという間に過ぎた楽しい講座でした。
伎楽『獅子奮迅』を上演
明日香村文化協会 総会より
令和6年5月19日(日)多くの来賓の皆様の出席のもと明日香村文化協会総会が行われました。松村滋子副会長の司会で始まり提案したすべての案件が了承されました。
柏木教育長、松本村議会議長、亀甲県会議員、田中飛鳥保存財団理事から来賓の挨拶がありました。柏木教育長からは本協会が発刊した「繋」やブックレット「豊年橋の謂れ」への取り組みでの労いの言葉と村内の園、小、中学生全員にブックレットを配布してもらっていることについて、文化協会への感謝と称賛の言葉をいただきました。
総会終了後は、明日香村主催で天理大学雅楽部により伎楽『獅子奮迅』が上演されました。伎楽は、612年百済から飛鳥に伝わったとされる無言の仮面劇です。劇の内容は、酔故王が宴会で獅子に酒を飲ませたために獅子が暴れまわりその獅子を落ち着かせるために、笛を吹くなどいろいろしながら最後に牡丹の花をくわえさせて抑えるという展開です。
劇は龍笛、鉦盤、腰太鼓の生の伴奏とともにスムーズに上演されました。20名にも及ぶ出演者の皆さんによるコミカルな軽快な動きに思わずほっとする内容で、伎楽に大変興味を持ちました。狭いスペースと階段があるなど施設面での制約がある中での熱演に大きな拍手が起こりました。
村民への案内は、防災無線だけではありましたが、120名の皆様が鑑賞されました。
伎楽上演後は、天理大学雅楽部総監督佐藤浩二先生と明日香村文化協会境山正甫会長によりますパネルディスカッションが行われました。司会は四天王寺大学講師辰巳俊輔先生により進められました。この中で、伎楽と飛鳥のかかわりについて「伎楽は飛鳥時代に伝えられた劇で推古20年(612年)百済からの渡来人味磨之が習得したとあり、現在の豊浦に住まわせた少年たちに伎楽を習わせた」と記録があると紹介されました。川原寺、橘寺に伎楽上演の一団が置かれていたそうです。
明日香村での現時点での取り組みについて佐藤先生は「2年前から明日香小の3~6年を対象とした出前授業を行い、お面作りから始めた。子ども達だけで演じる機会も2度ほどあり経験も積んだ。」として村内での取り組みの状況も話されました。佐藤先生は「練習では心配する面もあったが本番では上手にできて驚いた」また「明日香小の子どもは、積極的に自分でこの役をやってみたい、やりたいと名乗りを上げて自分たちの台本で演じてくれた」と積極的に子ども達が取り組んでいることを話されました。最後に今後の伎楽のあり方について境山会長は「明日香で独自のテーマとして、伎楽を作りたい。村内には龍笛などを演奏できる人材もある。将来的に伎楽団を作って大人が何らかの形で協力して伎楽を作り上げる夢を持っている」と結びました。
ブックレット「豊年橋の謂れ」を発刊
明日香村文化協会が取り組むブックレットの第三集「豊年橋の謂れ」を発刊しました。
豊年橋と呼ばれる橋は、近鉄吉野線飛鳥駅に近い国道169号線沿いを流れる高取川にかかる明日香村大字平田から大字越へ通じるところにあります。この橋の側には、『ほうねん橋の碑』と彫られた大きな石碑が建っています。現在豊年橋はコンクリート製の橋ですが、もともとはこの石碑が橋として川に架けられていました。
この物語は、この橋を架けるにあたって心血をそそいだ旧越村(大字越)の服部宗賢が主人公です。
宗賢はいまから約200年前の江戸時代の人で高取藩(現在の高取町、明日香村、橿原市の一部を治めていた)のおかかえのお医者さんでした。名医として名をとどろかせた人で、村の人が困っているのを放っておくことができませんでした。
宗賢は私財を投じて村人に呼びかけて橋を架けたのでした。この橋が完成してからは大雨が降っても橋が流されることがなくなり、豊作の年が続いたので豊年橋と呼ばれるようになったとのことです。
この『豊年橋の謂れ』にはモデルとなった絵本があります。橿原市在住の野田淑子さんがお孫さんのために色鉛筆で手作りされた和綴じの絵本です。和紙に丁寧に描かれており文章は筆で書かれています。
ストーリーは戦前の小学校の副読本に基づいていますが、挿絵はありませんでした。そこで野田さんは図書館に足しげく通い多くの書籍を参考にしながら見本となる人物、場面を探し出して描かれました。登場人物の表情や高取城の全容、医術にかかわる場面など細部にわたって、細やかに優しい色使いで丁寧に描かれています。
紙芝居制作委員会では、ブックレットにするに当たり小学校中・高学年の児童にもわかりやすくするために紙芝居の原文をやさしい言葉に改めました。ただ物語の展開上、むずかしい語句であっても歴史的な語句についてはそのままにして、横に説明文をつけています。
なお、表紙の題字は、日本画家の烏頭尾精先生の協力を得ました。また装丁については同じく日本画家の烏頭尾忠子先生の手を煩わせました。
文化協会の会員の皆さんと明日香村内の小・中学生全員に配布しました。
現在の豊年橋(野田さんの絵本より)
令和6年 新年互礼会開催
1月21日(日)に文化協会と伝承芸能保存会による新年礼
例会が中央公民館において開催されました。コロナ禍を経て昨年から半日の開催となり、主に『伝承芸能の初演』の集いが中心の内容となっています。
開会にあたり、能登半島地震で犠牲となられた方々のご冥福を祈って黙とうを捧げました。
先ず「明日香の響き保存会」による八雲琴の初弾きが行われ、厳かな雰囲気の中、ホールに響く琴の音に聞き入りました。
演奏後の開会挨拶では、境山会長が今年の干支、辰にかかわる龍の話や、文化協会設立46年を迎え、創立の精神である「明日香の文化の発展に寄与する」ことを引き継いで、これからも活動に努めていくことを述べました。
さらに50周年を目指して「繋」補訂版に取り組んでいることを報告しました。
来賓を代表して森川裕一村長、松本年史村会議長、山本進章県会議員、飛鳥保存財団の田中充常務理事の方々から祝辞をいただきました。
出演は、南無天踊り(一部から五部までの全て)から始まり、新たに加入した小学生3名による鈴の演奏に大きな拍手が起こりました。また万葉朗唱にも新たなメンバーが加わりホールに響き渡る透き通った声で万葉集を披露していただきました。
最後に伝承芸能保存会の一年間の活動を紹介するDVDを鑑賞し、脇田初枝伝承芸能保存会会長から閉会の挨拶をいただき、全ての日程を終えました。
第3回古文書講座
第3回古文書講座 報告
今年度の最後となる古文書講座が11月25日(土)に実施されました。今回は、勾池から天徳山龍福寺までを読み解きました。講座が始まるまでに前もって担当の方がホワイトボードに読み下した分を書いておきます。それを参加者が講座が始まるまでに写したりもします。ホワイトボードをもとに、安田先生が指導(添削)と解説をされます。
今回は、勾池の箇所からです。勾池、真名池、島の宮が出てきます。そして勾池や真名池が同所にあるとしています。万葉集には「上の池」「下の池」が詠われていますが、勾池や真名池との関係はわかりません。次に南淵請安先生の墓のことも詳しく出てきます。石碑があって明神塚とも稲淵明神としても崇められているとして、例年十一月十六日にお祀りしていると記しています。また墓の傍らに「一畝」(約30坪)の水田があって村の中から順番に耕作して、これをお供えとしているとあります。有名な「乙巳の変」の中大兄皇子と中臣鎌足が請安先生に周孔の教え(儒教)を学びに行くすがら大事を図ったと記しています。
続いて、天徳山龍福寺が出てきて、大日堂の側にある「竹野王の石塔婆」のことも記されていて「文字剥滅して文明ならず」とすでにこの時には剥落が激しかったことがわかります。ただ下の段にあるかろうじて読める阿育王のことや年号の天平勝宝〇〇・・・従二位〇〇〇・・竹野王・・・と記しています。
次の挿図は江戸時代の石舞台の様子で、すでに石室の石がむき出しの状態です。ここでは「天武帝 殯古趾」とあります。そして「伝言 當地を島の庄といへるは古への嶋の宮の古跡ならんか」と記しています。続いて「橘の島の宮 勾池の嶋の宮・・」とあるようにここでは島の宮は橘の一部であったことがわかります。また挿図の真ん中の下あたりに記されている文には、「是石ばしを渡りて山の方にいたれば じゃうご村にいづるなり」とあります。上居へ行く主たる道は、現在とは違っていて大変興味深いものとなっています。
受講者で、この石橋の架かる川は唯称寺川ではないかと推測されました。またどこから俯瞰した挿図かと話題になりましたが、大字尾曽の 徳院のある方角を踏まえれば城山と呼ばれる石舞台の北側の丘陵から見て東南から南そして西南の景色をもとに描かれていると思われます。しかし先生によると方角や距離等正確ではないところがあるとのことです。身近な風景だけにいろいろと意見が出され、想像するだけでも面白い講座です。
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