ブックレット「豊年橋の謂れ」を発刊

明日香村文化協会が取り組むブックレットの第三集「豊年橋の謂れ」を発刊しました。
豊年橋と呼ばれる橋は、近鉄吉野線飛鳥駅に近い国道169号線沿いを流れる高取川にかかる明日香村大字平田から大字越へ通じるところにあります。この橋の側には、『ほうねん橋の碑』と彫られた大きな石碑が建っています。現在豊年橋はコンクリート製の橋ですが、もともとはこの石碑が橋として川に架けられていました。
この物語は、この橋を架けるにあたって心血をそそいだ旧越村(大字越)の服部宗賢が主人公です。
宗賢はいまから約200年前の江戸時代の人で高取藩(現在の高取町、明日香村、橿原市の一部を治めていた)のおかかえのお医者さんでした。名医として名をとどろかせた人で、村の人が困っているのを放っておくことができませんでした。
宗賢は私財を投じて村人に呼びかけて橋を架けたのでした。この橋が完成してからは大雨が降っても橋が流されることがなくなり、豊作の年が続いたので豊年橋と呼ばれるようになったとのことです。
この『豊年橋の謂れ』にはモデルとなった絵本があります。橿原市在住の野田淑子さんがお孫さんのために色鉛筆で手作りされた和綴じの絵本です。和紙に丁寧に描かれており文章は筆で書かれています。
ストーリーは戦前の小学校の副読本に基づいていますが、挿絵はありませんでした。そこで野田さんは図書館に足しげく通い多くの書籍を参考にしながら見本となる人物、場面を探し出して描かれました。登場人物の表情や高取城の全容、医術にかかわる場面など細部にわたって、細やかに優しい色使いで丁寧に描かれています。
紙芝居制作委員会では、ブックレットにするに当たり小学校中・高学年の児童にもわかりやすくするために紙芝居の原文をやさしい言葉に改めました。ただ物語の展開上、むずかしい語句であっても歴史的な語句についてはそのままにして、横に説明文をつけています。
なお、表紙の題字は、日本画家の烏頭尾精先生の協力を得ました。また装丁については同じく日本画家の烏頭尾忠子先生の手を煩わせました。
文化協会の会員の皆さんと明日香村内の小・中学生全員に配布しました。

現在の豊年橋(野田さんの絵本より)